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阿部電材株式会社感謝の心で80年の歴史を作りました。これからも、いつも心に感謝を込めて。
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80年の歩み

創期



大正13年8月(1924年8月)

関東大震災から丁度一年後、洋式建築の流れから和洋折衷のモダンな建物が目立ち始めた大正後期の東京都港区芝園橋にて電気絶縁材料専門『阿部商店』を創立。
世の中に電気と言うものが徐々に浸透し始め、電気を利用した様々な製品が出てくると予測し、その製品に使用される材料での商いが面白いと強く感じ、 電気関連材料の調査研究を進めていくと、電気を通す「通電」という、電気を通す事を目的としたあたりまえの材料を知る、通電には逆に電気を通さない材料も当然必要であると思い「絶縁」という材料に強く惹かれた。
当時、絶縁材料を扱う専門商社は、全国に2社しかなく、関連メーカーとともに都内に5箇所の倉庫をもっていたことから、全国各地から引合があり、かなりの取引量を伺える。


創業者の 阿部春吉(現社長の曽祖父)は社員から「大将」と慕われ、社外問わず信頼も厚く、その人柄から作家、作詞家のサトウハチロー氏をはじめ、各界の著名人とも交流が深かった。
その後、社名を『株式会社阿部商店』と株式会社として名実共に一流企業へ成長する。


高度成長期


戦前  第二次世界大戦(昭和16年〜昭和20年)

昭和12年に、現在の社名『阿部電材株式会社』と改称。
戦争の激しさが増していく中、無事に帰還したら、また大将と一緒に仕事をすると約束し、社員が次々と戦争に出兵していった。
そのうち港区も戦災の被害を受けはじめ、一時、商品、機械などを疎開地(長野県佐久市)へ運び、営業を一時中断せざる終えない状況に追い込まれる。


戦後

出兵した社員たちの何人かが無事帰還、また一緒に会社をたちなおそうと集まってきたが、 「大将」は病に倒れ帰らぬ人となっていた。〔S19.4月没〕 皆から親しまれた「大将」の意思を受け継ぎ、社員が各地で独立。 その数は当時で10社以上にもなり、現在もなお、取引が続いている。
また、一時営業を中断していた阿部電材株式会社も新社長の下(阿部信三)、昭和22年2月、ようやく 営業開始の見通しがつき、再開した。
日本の復興、高度成長期の波にのり、業績も拡大し創業者が狙った「絶縁材料」も三代目社長(阿部正弘:現相談役)が受け継ぎ、重電業界が活況であり幅広くご利用頂いた。


※1 電機業界に於いては50万ボルト送電網に対応する超々高圧トランス、開閉装置、発電機等重電機器の技術開発及び製作が大いに伸展し、当社でもこれ等重電機器の絶縁材料の開発納入につき業界において枢要な役割を果たす。その後オイルショックなどの困難を乗り越えお客様のニーズから取扱い品目も従来の重電から弱電へ変化してきた。


 


※2 半導体業界に於いてはエポキシ樹脂トランスファーモールド技術の確立によりエポキシ封止樹脂、 ジャンクションコーティングレジン等の先端機能材料の確立より半導体メーカーに多大な貢献をなし、今日のITデバイスの材料につながっている。
現相談役「阿部正弘」は、大学在籍中からこの仕事にたずさわり、卒業と同時に阿部電材株式会社に入社し三代目社長とし、 昭和の混乱期の中、現在の阿部電材を築いた。


これからの阿部電材 (四代目現社長 阿部正之)


近年は、バブルの崩壊、中国の台頭などで今までにない製造業にとって厳しい時代が続いていますが、単純な商社機能ではなく、お客様の立場に立った提案に続けた結果現在の阿部電材があると考えております。
日本の経済において製造業の占める割合は大きく、日本の発展に製造業無くしては考えられない中でいつの時代もお客様に密着し痒いところに手が届く、独立系の専門商社として系列に捕われないで、沢山のお客様と、沢山の仕入先様を様々な役割で結びつける、ソリューション型提案企業を目指したいと強く感じております。


※3 国内エネルギー関連材料として、天然ガス、石油パイプライン用防蝕材料。

※4 新エネルギーとしての燃料電池、太陽電池用絶縁材料の開発納入に当たり、今日更なる新技術対応の材料開発に注力している。

※5 0A機器、精密機器の技術革新に対する高機能材料、エンジニアリングプラスチック製品の販売に注力、今日に至る。